「金沢ニューグランドホテル」から直線距離で半径3km以内の観光スポット・旅行・レジャーを探す/距離が近い順 (1~154施設)
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- 昨年の秋に、金沢へ旅行に行った際、どこかおすすめの観光地はないかな、とネットで検索していたところ、この妙立寺を見つけました。 別名「忍者寺」と言われているそうで、落とし穴になるお賽銭箱や、隠し階段などがあるとのこと。 それを読んだ瞬間、楽しそう!!行ってみたい!と思いました。 事前に予約が必要とのことで、電話をかけたら希望の日時に無事に予約ができました! 当日は旅行の2日目、偶然にも金沢マラソンと重なっており、市内は交通規制がかかっていました。 バスなどが運休している時間もあり、妙立寺に行けない!!!どうしよう!?とちょっと焦りましたよー。 そこで、タクシーを利用して行くことにしました。 タクシーの運転手さんが、規制がかかっていないところを通って、妙立寺まで連れて行ってくださり、予約していた時間よりも早く到着することができました。 予約の時間より30分以上早く到着したのですが、お寺の案内の方に名前と予約していることを伝えると、ひとつ前の予約の枠に入れてくださいました。 ありがたかったです! まずは本堂に入り、お寺の説明を聞きます。 十数人ほどのグループになり、案内の方の説明を聞きながら堂内を進んでいきます。 堂内では撮影が禁止だったので、いろいろな「しかけ」の写真はないのですが おどろくことばかりで、とっても楽しかったです。 お寺の外観は2階建てなのですが、なんと内部は4階建てで7層からなっているというのですから、なんとも不思議です。迷路のようになっていましたよ。 当時は3階建て以上の建物は禁止されていたそうで、外からは2階建てにしか見えないようにしていたみたいです。 物置の戸を開いて、床板をまくると階段がでてきて、その中に人が身を隠すことができるようになっていたり、渡り廊下に見せた階段で、床板をはずすと落とし穴になっていたりと、あちらこちらにたくさんのしかけがいっぱいでした! 本堂の正面入り口にあるお賽銭箱は、落とし穴としても利用できたそうです。 伝説の井戸は深さ25Mほどあるそうです。茶水に利用されていましたが、水面に横穴があり、それが金沢城まで続いていて、逃げ道になったとも言われているとか! 昔の方の知恵は本当にすごいですね! とっても楽しかったし、みなさんにもおすすめしたい観光スポットです。
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- 石川県金沢市寺町にあるお寺で通称「大桜」と言われ地元住民に親しまれています。自宅から近く歩いてゆける距離にあるので、桜の季節には子供たちが小さい時に、家族で散策に出かけた思い出があります。町の名前「寺町」の通り、近隣には寺院群があり多くのお寺が立ち並んでいます。車でアクセス方法は、金沢市の中心を取る野田専光寺線を広小路交差点より野田方面へ向かって、懐石料理で有名な料亭の「つば甚」の迎いになります。公共交通機関のバスを使用する場合は、野町広小路バス停より徒歩で約5分に位置になります。松月寺が創建されたのは文禄2年(西暦1593年)になります。改ざんした師は「大安存察大和尚」、開基は「瑞亀院殿夕雲全劫居士」、ご本尊は「釈迦牟尼仏」、現在のご住職は「槻 健二さん」になります。お寺の特徴としては、先にも書きましたが、毎月4月中旬には大桜が満開になり、見頃となります。平成15年には、石川県農林試験場によって育てられた大桜直系の若木を大切に育て後継木として育てています。大木の根の周囲は約6m、高さ約14mもあり、お花の大きさが約5cmの美しい白いお花を咲かせます。お寺の文化財としての評価は、昭和18年8月に国の天然記念物の指定を受けています。この桜は加賀藩3代藩主前田利常と親しい仲であった松月寺2世至岸和尚が小松城から大切に持って来て移植した桜であるとの事です。大桜は学名をショウゲツザクラといい、ヤマザクラ・オオシマザクラ系の一種で学名にお寺の名前が付く由緒ある桜であることが伺えます。お寺が創建されたのは、先にも書きました通り、文禄2年(1593年)に越前堀井庄に於いて創建されました。その後、金沢、富山、金沢市の小立野台へと転々とし、元和元年(1615年)に現在地に移転したと歴史書には書かれています。境内には樹齢約400年の桜の木が大通りへはみ出し、大桜として親しまれている為、桜の季節には特に目に入り、地元の人たちはもちろんですが、多くの観光客の方々が来観されています。
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- 石川県金沢市の野町にあるお寺で、自分が現在居住している町の隣町にあります。最近拝観したのですが、自分の住んでいる近くに日本の歴史上の出来事に大きく関わったお寺がある事を改めて知り驚いています。三光寺については、明治11年(1878)、大久保利通を東京の紀尾井町で暗殺した島田一良たちの集会所であったとして有名なお寺です。そのため事件の首謀者たちは「三光寺派」と呼ばれました。その歴史は古く、創建されたのは、1635(寛永12)年に創建されました。山門は平成3年(1991)に石の仁王門として現住職自ら制作し再建されました。また、現住職彫刻の石の仁王門は必見。境内には水琴窟もあり、いつでも聞くことが出来て、その清々しいい音色に魅了されます。アクセス方法は、JRで来られた方は金沢駅からバスで15分 北陸鉄道路線バス、城下まち金沢周遊バスを利用してもらい広小路バス停から徒歩で3分になります。金沢市内を走る「ふらっとバス」を利用の場合は、武蔵ヶ辻・近江町バス停からバスで25分 金沢ふらっとバス長町ルートに乗り野町広小路バス停から徒歩で4分の場所になります。金沢在住の私でも、最近になって訪れた場所ですので、観光でお越しの際は、一度散策してみても良いかと思います・
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- 石川県金沢市の寺町寺院群にあるお寺になります。伏見寺は石川県金沢市寺町5丁目にある高野山真言宗の寺院になります。伏見寺の創建年度は不詳ですが言い伝えによると西暦717年(養老元年)、芋掘藤五郎が寺院を建立し採掘した砂金で制作した本尊となる阿弥陀如来像に、行脚でたまたま当地を訪れた行基菩薩(奈良時代の高僧)が開眼供養したのが始まりと伝えられています。当初、伏見寺は今の金沢市南部になる石川郡山科村にあったとの事です。その後、1615年(元和元年)に快存和尚が現在地である寺町に移しているとの事です。本尊に祭られてある阿弥陀如来像は平安時代初期に制作されたもので銅造鍍金像、像高22.1㎝、平安時代の金銅仏の遺構として大変貴重な事から1950年(昭和25年)に国指定重要文化財に指定されています。伏見寺の護摩堂に安置されている木造不動明王坐像は平安時代に制作されたもので一木造、2014年(平成26年)に金沢市指定文化財に指定されています。伏見寺は金沢の地名の起こりとなったとされ境内には芋掘藤五郎のものと伝わる墓碑が建立されています。歴史に興味にある方は、是非とも金沢の地名の由来となったこのお寺で、芋ほり藤五郎の歴史に触れてみるのは如何でしょうか。
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周辺施設金沢ニューグランドホテルから下記の店舗まで直線距離で1,324m
日本旅行 TiS金沢支店/ 日本旅行56店舗
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- 日本旅行 TiS金沢支店は、金沢駅の金沢百番街ショッピングモール内にあります。金沢駅内にあるためアクセスはとても良く、年末年始以外は年中無休で営業しているのもとても良いと思います。
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周辺施設金沢ニューグランドホテルから下記の施設まで直線距離で1,348m
金沢市立安江金箔工芸館
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- 金沢市東山に位置する安江金箔工芸館は、金沢の歴史と伝統的な工芸品である金箔をテーマにした博物館です。この地域は金沢の観光の中心地の一つであり、その文化的な重要性は大きいです。館自体も金箔を扱う工芸品を中心に収集・展示しており、その美しさと技術の高さには定評があります。館内には数々の展示物があり、その中には金箔を使った絵画や工芸品、さらには歴史的な文献や道具なども含まれています。訪れる人々は、金箔がどのようにして作られ、どのようにして使用されてきたかを学ぶことができます。展示されている作品は、その精巧さと美しさで訪れる者を魅了し、多くの人々に癒しと感動を提供しています。 特に、金箔工芸はその繊細さと高度な技術で知られています。金箔は紙の上に施されたり、陶器や木工品に貼り付けられたりすることで、美しい装飾や耐久性を提供します。これらの技術は数世紀にわたって受け継がれ、現代でもなお尊重されています。安江金箔工芸館では定期的に展覧会やイベントも開催されており、地域の芸術家や工芸家が新しい作品を発表したり、特定のテーマに焦点を当てたりしています。これらのイベントは、訪れる人々に新たな発見と体験を提供し、地域コミュニティの文化的な交流を促進しています。また、館内には図書室や資料室もあり、より詳細な情報を求める訪問者にとって貴重なリソースとなっています。ここでは金箔に関する文学や歴史、さらには伝統工芸技術について深く学ぶことができます。金沢を訪れた際には、この館を訪れて金箔の魅力に触れ、その芸術の奥深さを感じてみてください。開館時間は午前9時30分〜午後5時で入館は4時30分迄となっています。定休日は毎週火曜日で祝日の場合は翌平日が休館になり、年末年始は12月29日〜1月3日が休館との事です。観覧料金は一般は310円、団体で20姪以上では260円、65歳以上は210円で祝日は無料です。また高校生以下は無料なのも良心的です。このように、「金沢市立安江金箔工芸館」は観光客にとっての見逃せないスポットであり、その美しさと歴史的な価値は、訪れる人々に長く愛され続けています。
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- 金沢市長田に位置する長田菅原神社は、学問の神様として広く信仰される菅原道真公を祀る神社です。古くから地域の人々に親しまれ、学業成就や合格祈願に訪れる参拝者が絶えません。 私も子供の受験の時に合格祈願で参拝させていただきました。 長田菅原神社は、その名が示す通り、菅原道真公(菅原敏政)を主神として祀っています。菅原道真は平安時代の学者・政治家として知られ、その悲劇的な生涯と後世における天神信仰は、日本各地に数多くの菅原神社が建立される背景となりました。 金沢においても、学問の神としての道真公への信仰が根付いており、長田地区に建立されたこの神社は、地域住民の学業成就や家内安全、厄除けを祈願する場所として発展してきました。 創建の正確な年代は諸説ありますが、神社の伝承によれば、鎌倉時代から室町時代にかけて、その信仰が広まる中で、地域の有力な氏族や文人によって建立されたと伝えられています。当時、金沢は北陸地方の政治・経済の中心地として栄えており、長田菅原神社もまた、文化的交流や学問の振興と密接に関連して発展したと考えられます。戦国時代や江戸時代に入ると、神社は地域の守護神としての役割をさらに強め、地元の武士や町人たちが熱心に参拝することで、その信仰は広く根付いていきました。 長田菅原神社の境内に足を踏み入れると、荘厳な鳥居が参拝者を迎え、長い歴史を感じさせる社殿や拝殿が静かに佇んでいます。 また、境内には由緒ある御神木や石碑が点在しており、これらは神社の歴史を今に伝える貴重な文化財となっています。参道沿いに植えられた古木は、四季折々に表情を変え、訪れる人々に自然の美しさと厳かな空気を感じさせてくれます。 菅原道真公は、学問の神として古くから尊崇されており、その教えや業績は後世の文化人や学者に多大な影響を与えてきました。長田菅原神社においても、参拝者は学問成就や知識の向上を願って訪れることが多く、神社自体が地域の学術振興の象徴ともなっています。多くの学校や学習塾が、受験シーズンになるとこの神社を訪れ、学問の神のご加護を求める姿は、古来からの伝統が現代にまで生き続けている証だと感じています。
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- 石川県には多くの神社仏閣があるのですが、その中でも金沢市内のひがし茶屋街の卯辰山寺院群にあるのがこの「寿経寺(じゅきょうじ)」です。以前、県外から友人が訪ねてきた時に、観光地であるひがし茶屋街を案内している時に、立ち寄ったお寺になります。地元では、七稲地蔵(なないねじぞう)の名で通っている神社で、その名の通り境内には稲を抱いた7体の地蔵が立っているの特徴で有名です。境内の金沢市教育委員会が掲げた案内看板には、このお地蔵様に付いての説明がなされていたのでご紹介します。今から約160年ほど前の安政5年(1858)、地震や長雨による凶作が続き米価が暴騰。飢えた民衆が当時町人入山禁止だった卯辰山に入り込み、米が高くて食べられないと直訴したいわゆる「卯辰山泣き一揆」が起こったとの事です。7体の地蔵は、この一揆で処刑された首謀者7人を供養のために祭ったものであるそうです。普通に散策していると分からないままに通り過ぎそうな寺院群ですが、しっかりの拝観することで、悲しい発見ではありますが、地元の者として感慨深く感じました。
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金沢中央教会
所在地: 〒920-1167 石川県金沢市もりの里3丁目38
- アクセス:
「「鈴見台2」バス停留所」から「金沢中央教会」まで 徒歩1分
北陸自動車道「金沢東IC」から「金沢中央教会」まで 5.1km
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- 『日本同盟基督教会 金沢中央教会』の教会をご紹介させて頂きます。 『日本同盟基督教会 金沢中央教会』は石川県金沢市もりの里、山側環状線沿いにあります アルビス 杜の里店 の横の道を入り、少し進んだところにございます。 【アクセス方法】 バスの場合 金沢駅より北陸鉄道バスにて「鈴見台2丁目」 にて下車後徒歩2分 車の場合 森本インターより、15分から20分ほど こちらの教会は、日本同盟基督教団に属しておりプロテスタントの教会です。 1952年11月より始まった3つの集会が、 1959年に金沢市兼六元町にて1つになったのが始まり 1995年に現在の金沢市鈴見町に会堂がもたれるまで、兼六元町にてお礼拝がもたれる 1995年4月に現会堂にてお礼拝がもたれるようになり、現在にいたります。 【集会】 主日第Ⅰ礼拝 は 日曜日 の 10:30から12:00 ま で 主日第Ⅱ礼拝 は 日曜日 の 19:00から20:00 まで 第Ⅰ祈祷会 は 水曜日 の 10:30から12:00 まで 第Ⅱ祈祷会 は 水曜日 の 19:30から21:00まで ※毎月最終週の日曜日は、賛美伝道礼拝日 【教会学校】 幼稚科・小学科 は 日曜日 9:00〜10:00 中学科 は 日曜日 9:30〜10:00 高校科 は 日曜日 9:30〜10:00 教会ではお礼拝の他に 【子育て集会】 聖書を中心とした子育てに関する学び、分ち合いを行われています。 【クッキングクラス】 料理教室を行ってくれています。 昼食・夕食の献立にそのまま使えるメニューを教えていただけるようです。 【子供英語クラス】 幼児から参加できる英語クラスが開催されています。 突然の参加もできます。 開催日・時間 : 毎週水・金曜日 17:00から 地元の方に根付いたイベントを開催してくれ、楽しく参加できそうですね。 他の教会ですが15年ほど前に子供の関係で行かせてもらったことがあります。 『日本同盟基督教会 金沢中央教会』には行かせて頂いたことはありませんが、きっと優しく迎えていただけそうです。
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金沢聖書バプテスト教会
所在地: 〒921-8102 石川県金沢市西大桑町1-18
- アクセス:
「「雪見橋」バス停留所」から「金沢聖書バプテスト教…」まで 徒歩2分
北陸自動車道「金沢西IC」から「金沢聖書バプテスト教…」まで 6.6km
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- 金沢に在住の人は、年配の方ならわかると思うのですが、金沢は戦災に遭っていないために多くの寺院が残されています。また、前田家に関係した寺院も多く、金沢の中心市街地にある「寺町寺院群」や、山手にある「卯辰山寺院群」が有名で、多くのお寺が金沢市民の生活に溶け込んでいます。今回、訪れたお寺は「卯辰山寺院群」にある「月心寺」になります。車でのアクセス方法として、北陸自動車道金沢東インターを下車後20分程度の場所にあり、公共交通機関では、金沢駅よりJRバスの森本行、または津幡行に乗車し、森山バス停を下車後徒歩で3分程度の場所になります。創建されたのは、慶安3年になり西暦では1650年ですから、今から約370年前の話になる歴史のあるお寺です。開山の師は傑外雲英大和尚で開基は当山二世・龍澤和尚になります。現在のご住職は勝田 浩之さんで、ご本尊は釈迦牟尼仏のお寺です。お寺の歴史としては、先ほども書きましたが慶安3年(1650)開創。 開山は金沢市宝町に現存する、前田家の菩提寺 宝円寺7代・傑外雲英大和尚と言う事です。お寺の場所は 明暦元年(1655)元如来寺町に移り、万治元年(1658)さらに油木山蓮昌寺跡の現在の場所に移されたそうです。有名なところでは、 茶道裏千家の祖・仙叟宗室(せんそうそうしつ)の墓や歌碑、また京都楽家4代一入(いちにゅう)の弟子・土師長左衛門(はじちょうざえもん)、後の大樋長左衛門代々も葬られていると案内されました。 お寺の特徴として、摩耶夫人尊(まやぶにんそん) お釈迦様のお母様、縁起によると「行基菩薩一刀三礼の作」と淀君の守り本尊として大阪城中に安置されていました。日々に礼拝して願をかけ、誕生されたのが豊臣秀頼とされています。そのことから、いつしか安産の佛様として親しまれるようになったとの事です。先に書いた卯辰山寺院群ですが、このお寺は卯立山麓重要伝統的建造物群保存地区(伝建地区)に平成23年11月29日選定され、間もなくして北陸新幹線が開通し今では多くの観光客が訪れている様子が休日は参拝客で賑わっています。拝観料は、500円で抹茶が付き、1000円では抹茶プラスお菓子付きで女性には大変人気です。
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徳田秋声文学碑
所在地: 〒920-0833 石川県金沢市末広町
- アクセス:
「「望湖台」バス停留所」から「徳田秋声文学碑」まで 徒歩1分
北陸自動車道「金沢東IC」から「徳田秋声文学碑」まで 4km
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- 金沢市生まれの小説家で、金沢の三大文豪と呼ばれています。記念館も別にありますが、記念碑は卯辰山に建てられています。卯辰山には他にも60を超える記念碑があるそうで、順番に訪ね歩くのもいいかも知れません。展望台もあるので、散策には最適です。
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- 金沢市本多町にある廣坂稲荷は、由緒ある神社で、地元住民や観光客に親しまれています。この神社は、金沢城や兼六園に近接する広坂地区にあり、周囲の豊かな自然と歴史的背景が調和した雰囲気があります。 廣坂稲荷の創建時期については、正確な記録が残っていないようですが、江戸時代以前に遡ると言われています。 金沢市本多町の地域は、江戸時代に加賀藩の拠点として発展しました。特に、金沢城が築かれた後は城下町として賑わい、廣坂稲荷もその繁栄に重要な役割を果たしていたようです。地元の人々は、稲荷神を地域の守護神として崇拝し、農業や商業の成功を祈願しました。 廣坂稲荷は、江戸時代から明治時代にかけて大きな信仰を集めましたが、金沢の都市化や社会変化に伴い、時代とともに役割も変化してきました。それでも、地元の人々は伝統を守り続け、現在でも多くの参拝者が訪れています。 廣坂稲荷の境内は、落ち着いた雰囲気に包まれています。神社の入り口には朱塗りの鳥居が立ち、稲荷神社の象徴的なデザインを引き継いでいます。この鳥居をくぐると、参道沿いに狛狐が配置され、神聖な空気が漂います。狛狐は稲荷信仰において重要な存在であり、稲荷神のお使いとされています。 本殿はシンプルながら美しい木造建築で、歴史の重みを感じさせます。境内には四季折々の自然が楽しめる植栽が施され、春には桜、夏には新緑、秋には紅葉、冬には雪景色と、訪れるたびに異なる表情を見せています。 金沢市を訪れる観光客にとって、廣坂稲荷は静かで落ち着いた観光スポットとして人気があり、兼六園や金沢城公園といった主要観光地から徒歩圏内にあることから観光ルートに組み込むのに最適です。 訪れる際には、参拝のマナーを守り、地域の文化や歴史に敬意を払うことが重要です。また、周辺には地元の飲食店やカフェも点在しているため、参拝後に金沢の食文化を楽しむのもいいと思います。 是非、金沢観光の際には訪れてみてください!
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- 金沢市広岡にある放生寺は、長い歴史を持つ由緒ある寺院です。地域の人々に親しまれ、信仰を集めてきたこの寺は、静かで落ち着いた雰囲気の中に金沢の歴史や文化を感じさせる魅力が詰まっています。 放生寺の創建に関する正確な記録は少ないものの、古くから金沢の仏教文化において重要な役割を果たしてきと言われています。特に江戸時代には加賀藩前田家の庇護を受け、地域の人々の信仰の場として発展してきたと伝えられています。 「放生寺」という寺号は、仏教の教えに基づく「放生会(ほうじょうえ)」に由来するとされ、放生会とは、捕らえられた生き物を自然に返す儀式で生命を尊ぶ仏教の思想に基づいた行事です。放生寺もまた、この精神を大切にしながら、地域に根差した寺院として歴史を紡いできました。 放生寺の境内は、金沢駅にほど近い立地でありながら、落ち着いた雰囲気に包まれています。歴史ある本堂や手入れの行き届いた庭園は、訪れる人々に静寂と安らぎを与えてくれます。 放生寺の本堂には、歴史ある仏像が安置されており、特に本尊となる仏像には深い信仰が寄せられ、願い事をする人々が後を絶ちません。 また、地域の人々の生活と密接に結びついていることから法要や供養のほか、さまざまな仏教行事が行われ地域の信仰の拠点となっています。 金沢駅からほど近い広岡エリアにあることからアクセスしやすい立地で参拝後には周辺の観光スポットを訪れるのもおすすめです。 放生寺周辺の観光スポットとしては、金沢駅鼓門(伝統とモダンが融合した駅前のシンボル)、近江町市場(金沢の新鮮な海産物が楽しめる市場)、尾山神社(加賀藩主・前田利家公を祀る神社)です。 放生寺は、歴史ある仏教寺院として、長年にわたり地域の人々の信仰を集めてきました。静寂に包まれた境内や仏像、伝統行事を通じて、多くの人々に安らぎを与え続けています。金沢駅近くにありながら、都会の喧騒を忘れさせる落ち着いた空間を提供してくれる放生寺。 金沢を訪れた際には、ぜひ立ち寄り、その歴史と魅力を感じてみてはいかがでしょうか。
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- 金沢市長田に位置する長田菅原神社は、学問の神様として広く信仰される菅原道真公を祀る神社です。古くから地域の人々に親しまれ、学業成就や合格祈願に訪れる参拝者が絶えません。 私も子供の受験の時に合格祈願で参拝させていただきました。 長田菅原神社は、その名が示す通り、菅原道真公(菅原敏政)を主神として祀っています。菅原道真は平安時代の学者・政治家として知られ、その悲劇的な生涯と後世における天神信仰は、日本各地に数多くの菅原神社が建立される背景となりました。 金沢においても、学問の神としての道真公への信仰が根付いており、長田地区に建立されたこの神社は、地域住民の学業成就や家内安全、厄除けを祈願する場所として発展してきました。 創建の正確な年代は諸説ありますが、神社の伝承によれば、鎌倉時代から室町時代にかけて、その信仰が広まる中で、地域の有力な氏族や文人によって建立されたと伝えられています。当時、金沢は北陸地方の政治・経済の中心地として栄えており、長田菅原神社もまた、文化的交流や学問の振興と密接に関連して発展したと考えられます。戦国時代や江戸時代に入ると、神社は地域の守護神としての役割をさらに強め、地元の武士や町人たちが熱心に参拝することで、その信仰は広く根付いていきました。 長田菅原神社の境内に足を踏み入れると、荘厳な鳥居が参拝者を迎え、長い歴史を感じさせる社殿や拝殿が静かに佇んでいます。 また、境内には由緒ある御神木や石碑が点在しており、これらは神社の歴史を今に伝える貴重な文化財となっています。参道沿いに植えられた古木は、四季折々に表情を変え、訪れる人々に自然の美しさと厳かな空気を感じさせてくれます。 菅原道真公は、学問の神として古くから尊崇されており、その教えや業績は後世の文化人や学者に多大な影響を与えてきました。長田菅原神社においても、参拝者は学問成就や知識の向上を願って訪れることが多く、神社自体が地域の学術振興の象徴ともなっています。多くの学校や学習塾が、受験シーズンになるとこの神社を訪れ、学問の神のご加護を求める姿は、古来からの伝統が現代にまで生き続けている証だと感じています。
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- 金沢市東御影町に鎮座する豊国神社は、歴史と文化の息づく神社です。この神社は、日本の戦国時代を代表する名将、豊臣秀吉を御祭神として祀っており、加賀百万石の城下町として栄えた金沢における歴史的、文化的な存在として知られています。 豊国神社の創建は、江戸時代の初め、1625年(寛永2年)に遡ります。この神社は、豊臣秀吉の死後、その功績を讃えるために建てられたものです。秀吉は日本統一を成し遂げた偉大な人物であり、彼の名を冠する豊国神社は、全国各地に存在していますがその中でも金沢市の豊国神社は、加賀藩の藩主前田家との深い関わりが特徴です。 豊臣秀吉と前田利家は親しい関係にあり、利家は秀吉の側近として重要な役割を果たしました。利家の死後、前田家は徳川幕府に従う形で生き残りを図りますが、秀吉への恩義を忘れることはなかったと言われています。これらの背景のもと、豊国神社は秀吉の功績を称える場として、また前田家の忠誠を象徴する場所とし設けたものとされています。 豊国神社の境内は静寂に包まれており、訪れる人々に落ち着いた雰囲気を提供します。鳥居をくぐると、石畳の参道が続き、その先には本殿が鎮座しています。本殿は伝統的な木造建築で、細部にわたって精緻な装飾が施されています。 また、秀吉の功績を記念する石碑や銅像があり、訪問者が彼の偉業に思いを馳せることができます。 豊国神社で5月に行われる「豊国祭」では、地域住民が参加して神輿や山車を担ぎ、町中を練り歩きます。また、豊臣秀吉にまつわる歴史劇の上演や地元の伝統芸能の披露など、豊国神社ならではの文化的なイベントも開催されます。 豊国神社は、商売繁盛や開運の神社としても知られており、お正月の初詣では新年の祈願を行う多くの参拝者で賑わいます。 神社周辺には金沢の伝統的な工芸品や和菓子を楽しめる店も多く、参拝後に金沢らしい文化を堪能することができます。特に、神社で授与される御朱印は、観光客に人気のアイテムです。秀吉を象徴するデザインが施された御朱印は、訪れた記念として最適です。金沢にお越しの際には参拝し、御朱印をいただいてはいかがでしょうか。
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