「浜の湯」から直線距離で半径3km以内の観光スポット・旅行・レジャーを探す/距離が近い順 (1~36施設)
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- JR上諏訪駅から東北の方角へ、徒歩で20分ぐらい登っていったところにあるお寺です。 諏訪は湖の花火と温泉の町として有名ですが、元々は、高島城というお城があった城下町です。 江戸時代の初めに、高島藩主の諏訪氏によって計画され、創建されることになったそうです。 名前の由来は、諏訪の地域が温泉が湧くところだったため、その守り仏として、かつて薬師如来を祀っていた場所を広げてお寺を建てたことだそうです。 現代になり、一大温泉地として賑わいをみせるようになったのは、このお寺の御利益かもしれないと思います。 ところで、この温泉寺は臨済宗のお寺ですが、元々藩主の諏訪氏は、高島城の近くに菩提寺を計画していたとのことです。 (2代から8代までの藩主の、お墓のあるところになっています。) そのため、当時の温泉寺は政治的な面が強いお寺だったのではないでしょうか。 後世になり、明治期初期の温泉寺の火災や、高島城の廃城の影響で、高島城より貴重な構造物も移されています。 さらに、同様に明治初期の神仏分離令の影響で、諏訪大社の上社からはご神体だったお鉄塔も移されています。 また、今では観光の名所にもなっており、春には樹齢が400年近いしだれ桜の花を見ることができ、秋には庭園内の紅葉を楽しむことができます。 ところで、温泉寺の墓地の一角に和泉式部のお墓として、紹介されているところがあります。 和泉式部といえば、日本史の教科書にも載っていますが、平安時代の歌人とされている方です。 地域の言い伝えでは、和泉式部は下諏訪の出身とされ、和泉式部の伝説もあります。 それは、まとめると両親を亡くした女の子が周囲のいじめに遭っていたものの、日頃の信心深い行いのおかげで、お地蔵様のご利益があり、その後幸せに成長し、美人として有名になったおかげで、京へ召されて和泉式部になったという「伝説」です。 ここまでの話を聞くと、にわかには信じがたいですが、中世のロマンのある物語だと思いました。
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- 長野県諏訪市上諏訪町にある神社で、諏訪市のシンボルである諏訪湖の南東に位置し、同じく諏訪市のシンボル諏訪大社下社の末社としてこの地域の産土の神とされています。場所がちょっと分かりにくいですが、本通りから狭い交差点を入ってクネクネとしたこれまた狭い登りの坂道を上がって行くとしばらくして小学校?が見えて来て、そのまま進むと神社の石段に突き当たります。駐車場はないので、斜向かいにある役場に停めさせてもらっていざ境内へ。この場所自体がかなり小高い場所にあるので諏訪の町が見下ろせますが、そこから更に石段を登って本殿の下の段へいくとそこに社務所があります。更に石段を登って行ったところにやっと本殿にたどり着きます。本殿は左右に長く作られていて神社の名前みたいに手が長く伸びているようにも見えます。山裾にある神社なので本殿の後ろには高い木が沢山あって山が覆いかぶさっている様で何だか雰囲気あります。本殿の東の端には龍神さまがいて手厚く祀られていて龍好きの方々に人気なんだそうです。本殿境内にある一際太い一本の木の幹にはミツバチが巣を作っていてブンブンと音がしていました。これは神様の使いだそうで古くからずっとあるそうです。二段になっている境内は割と広々としていてゆっくり回っていると時間が止まっている様です。神社ではよくよく感じる感覚ですね。山の中にある静かな神社だから余計にそう感じるのかもしれませんね。一通り見て回ったあとはいつも通り社務所へ。神社は古くて建物も歴史を感じますが、社務所は新しく綺麗になっています。御朱印が変わっていて、飛び出す絵本の様に開くと神社の社殿が立ち上がるという遊びごごろ満載の物で、思わずそれを頂きました。見開きで大判の御朱印を頂ける神社は沢山ありますが、このタイプは初めていただきました。丁度諏訪大社の式年遷宮にもあたる時期だったので特別な御朱印を用意していたみたいでラッキーでした。諏訪大社の四社巡りに絡めて是非ともご参拝していただきたい神社です。
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- 諏訪市湖岸通り1丁目の諏訪警察署(新)の近くにあります。始まりの下諏訪の地から移動して現在の場所になりました。周りは住宅地で湖畔からも徒歩1分なので静かでいい場所にあります。毎週日曜日には礼拝が水曜日には祈祷会があります。現在の牧師さんは男性で知識の深い優しい方です。聖書がなくても貸し出していただけたりありがたいです。
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- 夏休み入り暑い日が続きますがそれでも温泉や城見学などは行きたくなりますね。今回は、長野県諏訪市にお邪魔しました。諏訪と言えば中山道と甲州街道の合流地になり下諏訪、上諏訪大社など沢山見学出来るの場所は沢山ありますが諏訪湖の畔にある諏訪高島城は必ず見学に行きます。この諏訪高島城は、何と言っても諏訪の浮城と言われる水城で日本三大湖城と言われた名城です。江戸時代に干ばつにより水城の面影はないようですがそれでも湖畔に、たたずむ城は圧巻としか言いようがありません。この地は、漁業が盛んで元は沢山の集落を移転させこの地に城を築いたようです。上諏方、下諏訪大社があるため沢山の参拝者が訪れて武田信玄公なども参拝した諏訪の地は戦国時代は上杉、武田に挟まれ武田滅亡すると徳川、北條家に挟まれ徳川に着くことになった諏訪家ではありますが波乱の人生を歩んだ歴史を是非足を運んで貰えたら嬉しいです。桜の時期に花見がてら行くのもよいですよ。私は過去に何度か花見シーズンに行きましたが最高でした。次は来年春にまたお邪魔します。
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周辺施設浜の湯から下記の施設まで直線距離で1,002m
日本キリスト教団 諏訪教会
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- 日本キリスト教団 諏訪教会の礼拝に参加してきました。カトリック系の教会で、規模が大きい教会です。礼拝堂は広く、100名近くが楽に入れる規模です。日曜日だけでなく、平日も聖書の読み合わせや入門講座を開いています。興味のある方は参加してみてください。
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- 夏休み入り暑い日が続きますがそれでも温泉や城見学などは行きたくなりますね。今回は、長野県諏訪市にお邪魔しました。諏訪と言えば中山道と甲州街道の合流地になり下諏訪、上諏訪大社など沢山見学出来るの場所は沢山ありますが諏訪湖の畔にある諏訪高島城は必ず見学に行きます。この諏訪高島城は、何と言っても諏訪の浮城と言われる水城で日本三大湖城と言われた名城です。江戸時代に干ばつにより水城の面影はないようですがそれでも湖畔に、たたずむ城は圧巻としか言いようがありません。この地は、漁業が盛んで元は沢山の集落を移転させこの地に城を築いたようです。上諏方、下諏訪大社があるため沢山の参拝者が訪れて武田信玄公なども参拝した諏訪の地は戦国時代は上杉、武田に挟まれ武田滅亡すると徳川、北條家に挟まれ徳川に着くことになった諏訪家ではありますが波乱の人生を歩んだ歴史を是非足を運んで貰えたら嬉しいです。桜の時期に花見がてら行くのもよいですよ。私は過去に何度か花見シーズンに行きましたが最高でした。次は来年春にまたお邪魔します。
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- 長野県諏訪市上諏訪町にある神社で、諏訪市のシンボルである諏訪湖の南東に位置し、同じく諏訪市のシンボル諏訪大社下社の末社としてこの地域の産土の神とされています。場所がちょっと分かりにくいですが、本通りから狭い交差点を入ってクネクネとしたこれまた狭い登りの坂道を上がって行くとしばらくして小学校?が見えて来て、そのまま進むと神社の石段に突き当たります。駐車場はないので、斜向かいにある役場に停めさせてもらっていざ境内へ。この場所自体がかなり小高い場所にあるので諏訪の町が見下ろせますが、そこから更に石段を登って本殿の下の段へいくとそこに社務所があります。更に石段を登って行ったところにやっと本殿にたどり着きます。本殿は左右に長く作られていて神社の名前みたいに手が長く伸びているようにも見えます。山裾にある神社なので本殿の後ろには高い木が沢山あって山が覆いかぶさっている様で何だか雰囲気あります。本殿の東の端には龍神さまがいて手厚く祀られていて龍好きの方々に人気なんだそうです。本殿境内にある一際太い一本の木の幹にはミツバチが巣を作っていてブンブンと音がしていました。これは神様の使いだそうで古くからずっとあるそうです。二段になっている境内は割と広々としていてゆっくり回っていると時間が止まっている様です。神社ではよくよく感じる感覚ですね。山の中にある静かな神社だから余計にそう感じるのかもしれませんね。一通り見て回ったあとはいつも通り社務所へ。神社は古くて建物も歴史を感じますが、社務所は新しく綺麗になっています。御朱印が変わっていて、飛び出す絵本の様に開くと神社の社殿が立ち上がるという遊びごごろ満載の物で、思わずそれを頂きました。見開きで大判の御朱印を頂ける神社は沢山ありますが、このタイプは初めていただきました。丁度諏訪大社の式年遷宮にもあたる時期だったので特別な御朱印を用意していたみたいでラッキーでした。諏訪大社の四社巡りに絡めて是非ともご参拝していただきたい神社です。
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- JR上諏訪駅から東北の方角へ、徒歩で20分ぐらい登っていったところにあるお寺です。 諏訪は湖の花火と温泉の町として有名ですが、元々は、高島城というお城があった城下町です。 江戸時代の初めに、高島藩主の諏訪氏によって計画され、創建されることになったそうです。 名前の由来は、諏訪の地域が温泉が湧くところだったため、その守り仏として、かつて薬師如来を祀っていた場所を広げてお寺を建てたことだそうです。 現代になり、一大温泉地として賑わいをみせるようになったのは、このお寺の御利益かもしれないと思います。 ところで、この温泉寺は臨済宗のお寺ですが、元々藩主の諏訪氏は、高島城の近くに菩提寺を計画していたとのことです。 (2代から8代までの藩主の、お墓のあるところになっています。) そのため、当時の温泉寺は政治的な面が強いお寺だったのではないでしょうか。 後世になり、明治期初期の温泉寺の火災や、高島城の廃城の影響で、高島城より貴重な構造物も移されています。 さらに、同様に明治初期の神仏分離令の影響で、諏訪大社の上社からはご神体だったお鉄塔も移されています。 また、今では観光の名所にもなっており、春には樹齢が400年近いしだれ桜の花を見ることができ、秋には庭園内の紅葉を楽しむことができます。 ところで、温泉寺の墓地の一角に和泉式部のお墓として、紹介されているところがあります。 和泉式部といえば、日本史の教科書にも載っていますが、平安時代の歌人とされている方です。 地域の言い伝えでは、和泉式部は下諏訪の出身とされ、和泉式部の伝説もあります。 それは、まとめると両親を亡くした女の子が周囲のいじめに遭っていたものの、日頃の信心深い行いのおかげで、お地蔵様のご利益があり、その後幸せに成長し、美人として有名になったおかげで、京へ召されて和泉式部になったという「伝説」です。 ここまでの話を聞くと、にわかには信じがたいですが、中世のロマンのある物語だと思いました。
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- 外観も内装も船を模した面白い形をした立派な博物館です。1階の部屋には船舶用丸窓を取り付けた部屋もありました。2階が展示室で、諏訪湖の自然や人々の暮らしに係る資料が展示されているエリアと島木赤彦に関する展示エリアに分かれています。駐車場横には島木赤彦の銅像、歌碑があります。いました。もう一つ、歌碑の横に「下駄スキー発祥の地」という碑があり、下駄スキーを履いた子どもの像がかわらしく心がほっこりしました。
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- 日本キリスト教団 諏訪教会の礼拝に参加してきました。カトリック系の教会で、規模が大きい教会です。礼拝堂は広く、100名近くが楽に入れる規模です。日曜日だけでなく、平日も聖書の読み合わせや入門講座を開いています。興味のある方は参加してみてください。
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- 聖徳神社は、長野県諏訪市に位置する重要な神社の一つで、地域の信仰の中心として古くから人々に親しまれています。神社は緑豊かな自然に囲まれた静かな場所にあり、その風景が神聖さを引き立てています。聖徳神社は、古代から存在し、創建の歴史は深いとされています。社伝によれば、聖徳太子を主祭神として祀っていることが特徴です。聖徳太子は、日本の歴史の中で非常に重要な人物であり、仏教の普及や政治改革に大きく寄与したとして知られています。この神社は、聖徳太子の信仰を受け継ぎ、太子を通じて国の安泰と人々の平穏を願う場所となっています。神社の建築様式は、伝統的な日本の神社建築を色濃く残しており、木造の社殿や境内は、本来の自然美と調和を保っています。特に、本殿は荘厳で、訪れる人々に静寂と厳かな雰囲気をもたらします。また、境内には多くの古木や、花々が季節ごとに咲き誇り、四季折々の風景を楽しむことができます。これにより、訪れる人々は、自然の中で癒しのひとときを持つこともできます。地域の祭りや行事も重要な役割を果たしており、特に毎年行われる「聖徳祭」は多くの人々が訪れる一大イベントとなっています。この祭りでは、神輿や伝統芸能が披露され、訪れる人々は神社のご加護を願って参加します。また、神社での厳かな儀式や祈願は、地域住民にとって精神的支柱となっています。また、聖徳神社周辺には、温泉地や観光名所も点在しており、訪問者は神社参拝の合間にさまざまなアクティビティを楽しむことができます。例えば、諏訪湖は美しい景観を提供し、湖の周辺ではハイキングやウォーキングも人気です。寒い季節にはスキーリゾートも近隣にあり、冬のレジャーも楽しめます。聖徳神社は、地元の人々だけでなく、全国から訪れる観光客にとっても重要な場所です。多くの参拝者が、家内安全、商売繁盛、学業成就などの願いを込めて訪れます。また、神社内にはお守りや絵馬などの授与品もあり、これらは信仰の象徴として人気があります。特に、合格祈願のお守りは学生たちに重宝されています。歴史的、文化的、地域的な価値を持つ聖徳神社は、単なる観光地ではなく、精神的な寄り所としての側面を持っています。訪れる人々にとって、心を落ち着け、日常の喧騒を忘れることができる場所として、多くの人に愛されています。
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足長神社
所在地: 〒392-0012 長野県諏訪市四賀足長山5386
- アクセス:
「「白狐入口」バス停留所」から「足長神社」まで 徒歩1分
中央自動車道「諏訪IC」から「足長神社」まで 2.3km
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